2000年度

福島大学地域政策科学研究科

「地域社会と社会心理」

カナナデータ研・レポートの紹介(第9回)

大学院「地域社会と社会心理」(火曜夜7限)では、「データとは何か」なる曖昧なテーマをかかげて、いろんな方々に話題提供をいただく研究会方式の運営を行うことにしました。研究会の愛称は「カナナデータ研」にしました。以下は参加した院生諸氏のレポートです。

日時:2000/10/24 19:40〜

場所:行社棟3階  中会議室

講師:大門信也さん(行社院生) 「国語辞書に見る「騒音」概念の変遷について」

鈴木実  

 今回の発表は,研究者と研究者以外の一般の人々が,騒音という用語の意味の使用で違っている,つまり日常での用法と研究での用法が文脈によって異なっており,研究からのフィードバックが行われていないのではないかという問題点から出発している.そこで,本研究においては,日常語としての「騒音」という語の意味内容の変遷を,国語辞書から明らかにするという方法を選択している.国語辞書はその発行時期における最も規範的な意味内容を記述していると考えられるという.

 それぞれの辞書には典型的な意味要素が存在し,それらは,非楽音,うるさい,不快,じゃま,大きさとして見られるという.この5つの典型要素に,辞書の記述内容がどの程度当てはまっていくのかという分類を行っている.本研究におけるデータは,したがって辞書の記述内容であり,その分類が日常語としての「騒音」という語の意味内容の変遷を明らかにすることとなるという.国語辞書というものの性格を鑑みれば,一般に日常で使用される用語の意味内容をある程度代表して記述されていると考えることができよう.そういう意味合いでは,様々なものをデータとして捉えることが可能であるということをしめした研究であると考えられる.

 データとして何を取り上げるかということは,何を自分がその論から表現したいのかということと照らし合わせて,いかなるものでも(データとして)捉えることが可能であろう.ただしその後に求められる再現性などがどこまで得られるのか,というような問題もあり,柔軟なデータの選択がそう容易でないという現実もある.しかし,論を進めていく上で,そのデータの妥当性,あるいは,そのデータでなければわからない部分というものをしめすことで,どのようなデータでも,何かを証明する道具として使用することは可能であるということを考えさせられる研究であった.日常と研究という文脈のギャップを明らかにし,そこから研究という文脈で,日常にいかにその成果を反映させ得るかを考えるという発想が,国語辞書というものの記述をデータとして用いるという発想につながっているのだと感じた.このようなデータの選択の目を養うことも自分の研究スタイルにとっては非常に重要であるなと感じ,面白さを感じさせられた.

高橋明美

◇はじめに
日常語としての「騒音」という語の意味内容の変遷を明らかにすることを目的とし、
「騒音」及び「噪音」という語の意味内容の変遷を調査。
◇「騒音」の意味内容の変遷
1907年 「噪音」の語が国語辞書に現れる
1916年 「騒音」「噪音」に「うるさい」の語義が与えられる
その後、「うるさい」の語義が定着するのは1935年頃となる
1921年 「非楽音」と「うるさい」が混同された語義が辞書に掲載
1935年 辞書に「騒音」という表記が現れた
「噪音・騒音」という語が「混同」及び「うるさい」の語義が与えられ、同じ語として扱われる
1938年から1950年 
「非楽音」・・・「噪音」
「うるさい」・・・「騒音」
1951年以降
「非楽音」も「うるさい」も「噪」と「騒」の両方の字が当てられる

 時代の流れに応じて「騒音」に対するとらえ方、記述の仕方が変化していることがわかった。この、記述の違い、変化に対する社会的背景はどのようなものだったのだろう。
 授業のなかで永幡先生から「近代化の象徴として、一時期望ましい音ととらえられていた時期があった」というお話があった。そのような「時代の流れに応じた音」と「人々の認識」の関係に興味を持った。たとえば辞書の掲載の変化から、その時代の人々の風潮、暮らし、音のとらえ方を見ていくことはできないだろうか。そして「騒音」へのとらえ方は今後どのように変化していくのだろう。きっと、例えばファッション一つとっても男性がスカートをはくような何でもありな時代。「音」の感覚の変化も興味深い。
 「騒音」の意味を「研究者」と「一般人」のとらえ方の差異の部分からみているが、「一般人」とはどのような人々をさしているのか。音楽家は一般人なのか。もし、音楽家を一般人、ととらえるならば、もっと調査対象者の区分を細分化できると思う。音楽家や各企業、辞書編集者など。そして音楽も、現代音楽、ジャズ、ミュージカルなどジャンルによって違った見方があると思う。

斉藤久美子 この研究は,日常語としての「騒音」という語の意味内容の変遷を明らかにすることが目的であり,国語辞書は社会一般の語の意味内容の規範を記述しているという立場から,辞書における「騒音」と「噪音」の意味内容の変遷を調べている.(つまり,目的と方法から明らかなことは,辞書における意味の変遷を日常語の意味の指標として扱っているということである.)
1888〜1998に刊行されたの辞書の記述を比較すると,「非楽音」,「うるさい」,「不快」,「じゃま」,「大きさ」の5つの典型的な意味要素に分けられた.辞書は騒音を学術用語として示しながらも,先行の辞書を参考に書かれることが多いために,学術的世界での変化が,すぐさま辞書の記述に影響されるわけではない。一般的にいう騒音と学術用語としての騒音とが同一ではないことが明らかになった.
国語辞書における騒音という語の変遷をたどることをメインに,一般世界での代表として国語辞書を用い,学術的世界の代表として学術書を用いる形式で二者の対比も行っている.専門書から取り入れられた1つの辞書の誤解が,学術用語として後の辞書たちに広まっていく構図が見えた.

国語辞書の記述は,発行された時代の社会におけるその語の意味内容の規範といいながら,実際には辞書の記述は学術書から,または既刊の辞書から(ときに誤って)引用していることがわかった.では辞書の語は日常語の意味内容の代表となっているのだろうか?辞書の変遷をたどっては,「日常」や「社会一般」があまり見えてこなかった.もしかしたらこの研究は,「騒音という語の一般社会での変遷」を捉えるというよりも,「学術用語は一般社会にどのように通訳されてきたか」ということを捉えているのではと思った.


カナナデータ研  佐藤達哉(社会心理学研究室)  福島大学行政社会学部