2000年度

福島大学地域政策科学研究科

「地域社会と社会心理」

カナナデータ研・レポートの紹介(第5回)

大学院「地域社会と社会心理」(火曜夜7限)では、「データとは何か」なる曖昧なテーマをかかげて、いろんな方々に話題提供をいただく研究会方式の運営を行うことにしました。研究会の愛称は「カナナデータ研」にしました。以下は参加した院生諸氏のレポートです。

日時:2000/6/27 19:30〜

場所:行社棟3階  303号室

講師:鈴木 実氏(大学院生) 「霊体験についての語り」

鈴木実  発表者


高橋明美 「超常現象について語ること、研究することはいけないことなのか、だとしたら何故いけないのか」実さんは、大学のとき、医療系の大学に所属。卒論テーマ選択時「超常現象」に決めた。しかし、周りの先生方、学生達に「馬鹿げている、意味がない」といわれ、それをきっかけに超常現象を研究することの有意味さを実証していこう、と決めた。

 実さんの用意したプリントには、超常現象を経験した、と語る人々の多さを示すデータがあった。また、体験談のホームページへのアクセス数の多さや、雑誌掲載の多さから「人々の関心が高い」という。そういうことから、無視できることではない、という。

 そして、不思議体験についての人の語り方に注目している。ウーフィットという研究者は語りのシステム、人は不思議体験をどう語るのか、を研究している。特殊体験を語るとき、日常のありふれた体験を事細かに話すという。そこで実さんは33人分の発話を録音し、分析を行おうとしている。

 実さんの研究テーマを決めた動機、意欲が伝わってきた授業だった。また、データの多さ、いろいろな文献を読んでいることにすごいな、と思った。話の中で、「物語的怪談」と「体験的怪談」が出てきたが、その境界線はどこなのだろう、と疑問に思った。実さんは「体験的怪談」を分析したい、と言っていたが、例えば、調査対象者がインフォーマルな状態でテープに向かい、話し出した時、それは「物語的怪談」へすりかわっているのではないかと思った。 


斎藤久美子  はじめに、先行研究や新聞記事を用い、多くの人が超常現象を経験したり信じているということを示した。先行研究では、それらの経験や関心を持つ人を内的な属性と関連付けたり、またはそれらは錯誤であるという切り口で行っているものが中心であった。実さんの研究は、言語報告に着目し、他者とのコミュニケーションを通して超常現象を"語る意味"を探るというスタンスから行われている。

 ウーフィットは記憶との関連から、人が不思議な体験を語るときには「X(日常の体験)→Y(特殊な体験)」の形式にのっとっていることを示している(英語だとI was just…)。実さんは日本語の言語報告から不思議体験を定式化することが目的である。具体的な方法としては、実さんが集めた33人が語った怪談のインタビューテープをおこして会話分析をしている。今のところ、「日常の体験→特殊な体験→ほんとは見ていなかったかもと半信半疑を表明」のような定式がありそうということがわかっている。

 実さんの研究では、自分の研究の有意味さを示すために先行研究や新聞記事の「幽霊はいるか?」といった質問紙の結果(△%という数値)をデータとして用いている。そして怪談の語りの定式を導き出すためにインタビューにおける人々の"語り"をデータとしている。


大門信也 今回の発表では、発表者の研究そのもののデータにだけでなく、先行研究に関する発表が主であった。本研究におけるデータは「霊体験についての語り」であり、被験者の語り記録(テープ)をもとに、その発話分析をするというユニークな手法についての説明もあった。

 この研究そのものについても考えていきたいところでもあるが、本発表は修士論文ということもあり、自分の研究にかかってくる部分という意味で、データとしての先行研究について考えてみたい。

 発表では、多くの人が霊体験やそれに類する経験をしている論文のデータ、あるいは新聞の記事なども紹介し、分野を問わず様々な場で霊体験について扱われていることが示された。特に、紹介された複数の学術的な調査において、霊体験を持っている人が高い率で示されていたのは非常に興味深かった。

 例えば、世界各国の全18607人を対象とした各国でそれぞれ何%の人が臨死体験や千里眼、テレパシー経験があるかという調査では、最高で54%の人が「体験あり」(ここではU.Sのテレパシー体験)と答えている。これに限らず様々な研究でこのような高い数字が出ており、発表者は"無視できない数字"と述べた。

 発表者はさらに、こういった先行研究のデータを示したうえで、これらの研究が霊体験を被験者の過去のネガティブな体験や病理などに結びつけている点を批判し、霊体験を語ることを正当に扱うすべきとして、発表者自らの立脚地点を明確にした。

 このように、自分の研究について延々と論じるのでなく、先行研究から自らの研究へと展開していく、つまりその分野における自分の研究を位置付けることが、結局は自分の研究をよく語ることになるということがよくわかった。先行研究は自らの研究データの一部であるといえよう。
 これまで、データ研においては研究そのもののデータを扱ってきたが、先行研究もまた、その研究にとって重要なデータなのである。先行研究とはまさしく、その論文の立脚点を明確にするデータであり、学術的な研究には無くてはならないものである。そして、それが重要であればあるほど、その選出には慎重に行う必要がある。間違った読み込みをして、間違った引用をしてしまえば、とんだ笑いものになるであろう。他者の書いた論文の優劣を判断する眼力が無ければ、自らの論文どんなにすばらしいことを書いても、陳腐なものになってしまう。そのためにも、価値の高い先行研究を収集し、それを読みこむ能力は研究者にとって重要である。

 その点で、発表者の先行研究収集及び読み込み能力は、見習うべき部分が大変多かった。受講した大学院生にとって実効性の高い発表であったと言える。


カナナデータ研  佐藤達哉(社会心理学研究室)  福島大学行政社会学部