2000年度

福島大学地域政策科学研究科

「地域社会と社会心理」

カナナデータ研・レポートの紹介(第4回)

大学院「地域社会と社会心理」(火曜夜7限)では、「データとは何か」なる曖昧なテーマをかかげて、いろんな方々に話題提供をいただく研究会方式の運営を行うことにしました。研究会の愛称は「カナナデータ研」にしました。以下は参加した院生諸氏のレポートです。

日時:2000/6/13 19:30〜

場所:行社棟3階 中会議室

講師:原野明子先生 『仲間入りできない子はなぜ仲間入りできないのか?』

鈴木実  今回の講義では,仲間入りのできない子はなぜ仲間入りできないのか?というテーマのもとに成された研究のデータとそれに基づく分析,さらに研究を進めるにつれて変化してきた研究上の視点の経緯をうかがうことができ興味深かった.

この研究の最初のデータは,遊びの開始時の「仲間入り行動」に着目し,その開始の方略やうまく仲間入り行動のできない子との違いなどを明らかとするための自然場面の観察から得た子供の行動と発話である.この観察はVTRによって録画されており,これによって遊びの開始方略,仲間入りの失敗場面の頻度を分析している.遊びの開始方略としては「仲間入り」「主体的開始」「受動的開始」という3つの分類が当てはまり,遊びを開始するには,子供が何らかの積極的方略を取っているということが明らかとなっている.幼稚園という子供にとっての初期の社会的場面において,仲間入りするのにも積極性が重要なキーとなるということが示されたともいえる.しかし一方で社会への適応(ここでいう仲間入り)が必ずしも評価されるもので,一人遊びやその時仲間に入らなかった,あるいは入れなかったことが失敗という評価となることに多少の疑問もある.このことに関しては原野先生自身も語っていたことであるが,適者生存=仲良くしとったらそれでいいべ,というような単純な進化論的定式化は避けて行くべきであろう.研究者としての研究対象への視点の変遷という部分が顕れた話で非常に興味をそそられた点であった.

第2の研究として示されたのは,先の研究によって仲間との遊びの開始における積極性の重要性つまりかなりの要因が個人差によるものであったということから仲間入りできない子はなぜできないのかを操作的に作り上げた実験状況において観察し,それを評定するというものである.子供は引っ込み思案という傾向からカテゴライズされており,この傾向が高い子供は,相手が自分と遊びたくないと思っているのではないかということが示唆された.

ある1つの現象に対して,様々な方向から多角的に捉えようと,様々な手法を用いて行っているという点に学ぶところは多かった.今回の講義においてさらに興味が惹かれたのは,先にも述べたように研究者の視点の変遷過程であった.

データとして採れる現象は存在するが,それを分析する研究者が自明としていることが果たして本当にそのデータの現実を反映しているのか,ある学範に規定された常識にとらわれて,あまりにも狭く事物を規定しすぎていないだろうか.こうした反問は研究者として自分の研究に抱くことの一部であることは確かではないだろうか.これは研究だけではなく自分たちが生きていくときに常識としているものが,いかに危ういものであるかということにも通じている.こうした研究対象への意義付け等の懊悩が聞けたことは幸運であろう.

今回の講義でこうしたことを考えられたということが,今後我々自身が研究して行く過程でぶつかるであろう問題に対する多少の抵抗力となることを願う.


高橋明美  「遊びの意義」についての先生の見解について興味を持った。先生によれば「意義」とはいったい誰にとっての意義なのか、を自分に問い直している。観察者という大人の目を通しての意義になってしまう、これは大人のルールにのっとった見方になってしまい、「意義」と困惑してしまう、という。そして人と遊ぶこと、人といることに対し、消極的な側からの見方になってしまうのではないか、という。

 集団と個人は、結局一緒なのでは、という考え方が私にとって新鮮だった。そして、私は「人といること」に対し、楽しくプラス方向から考えていきたいと思った。・・・実際は修論へ向けて何も実行をしていないが。

 また「適応」について、心理学の分野にはいつ頃からでてきたか、を手がかりにし、考えている。さかのぼることダーウィンの進化論。その流れにのっかり、生存する為には環境に適応した方がいい、と考え仲間関係の重要性を主張している。

 先生の、例えば一つのことに対し、いろいろな角度からみて、考えていく姿勢、そして発表のときのシャキシャキした話し方に、私はかっこいいなと思った。


斎藤久美子 原野先生発表「仲間入りできない子は・・・」におけるデータとは1の自然観察におけるデータは、子どもの行動と発話である。これらを「遊びの開始」と「仲間入り失敗」に分け、頻度の分析を行っている。結果は、遊びの開始において、積極的に自分から働きかけているのが2/3であり、幼稚園での積極性の重要さが明らかになった。

2の実験では、被験者はあらかじめ保母の評定により、引っ込み思案傾向で3グループに分類されている。2人の子どもが遊んでいる部屋に被験者の子を連れて行き、部屋に入る前と出てきた後に「他者認知」と「自信」に関する質問を行う。絵カードの選択による被験者の回答がここにおけるデータである。結果は、引っ込み思案傾向の高い子は他者認知得点が低く、相手が自分と遊びたくないと思い込んでいることが判明した。原野先生の研究は、「どうして仲間入りできない子がいるのだろう?」という疑問からはじまった。しかし「仲間入り」や「引っ込み思案」といった研究の視点が、「みんなと仲良く遊べることがよい」とする価値観のあらわれとなっていることを感じ、研究の意義や「適応」という概念について考えている。

ひとりぼっちはちっとも問題じゃない!という結果の研究があったら面白いのかなと思ったりもした。


大門信也

 本研究では、1自由遊び場面の観察、2実験室実験、3面接調査、4ビデオ刺激による調査を行い、子どもの仲間入り行動を様々な角度からデータ化している。講義では、研究を進めるにつれ、より深く仲間入り現象について明らかにしていく課程が見て取れた。

 また、研究対象に対し、1つ手法にこだわらず研究を進めているのが、非常に興味深い点であった。子ども相手のため、絵カードを使った意見収集を行うなど、工夫を凝らしていたのも印象的であった。ただ、それをとった理由や先行研究との比較など、それぞれの手法についての、より深い話しが聴けなかったのは残念な点である。

 原野先生によれば、研究を進めるうちに、「仲間入りをすることが良いこと」と盲信的に考えている自身に気付き、仲間入りそのものの意義を問い直し始めたという。これは研究者の、視点の立て方の重要性を示していたように思う。

「“社会的”(そもそもこの言葉が問題かもしれないが)に当たり前とされることが、果たして本当に正しいのか」ということを、常に問いながら研究にあたることは、どのような研究にも言えることであろう。例えば、本講義の中で、社会学における“社会”と心理学における“社会”は違う、という発言が出たが、これは学問的立場の違いによる視点の違いと言える。

 データに関して言えば、データは、ある視点に立たなければとれないものである。従って、自分の視点を意識し、それを明確にすることが必要である。その点で、視点の立て方の重要性は、データをとる姿勢としても重要なことと言えるのではないだろうか。


カナナデータ研  佐藤達哉(社会心理学研究室)  福島大学行政社会学部