2000年度

福島大学地域政策科学研究科

「地域社会と社会心理」

カナナデータ研・レポートの紹介(第16回)

大学院「地域社会と社会心理」(火曜夜7限)では、「データとは何か」なる曖昧なテーマをかかげて、いろんな方々に話題提供をいただく研究会方式の運営を行うことにしました。研究会の愛称は「カナナデータ研」にしました。以下は参加した院生諸氏のレポートです。

日時:2000/1/23 19:40〜

場所:行社棟3階  中会議室

講師: 杉田政夫先生(教育学部)「日本における音楽教育導入史」

鈴木実  日本における学校音楽教育における特殊性を、歴史的な側面から、具体的には明治期の学校音楽教材の分析から明らかにする試みが、今回の発表の骨子であると考えられる。自分がどのような音楽の授業を受けてきたかを少し考えてみただけでも、学校教育における音楽と日常接する音楽のギャップに気づく。自国の音楽やポピュラー音楽がほとんど扱われていない。どちらかといえば西洋音楽偏重といえる。こうした事態は音楽教材として明治期に「唱歌」が導入される契機となった「和蘭学制」など、いわゆる欧米諸国を範としたためであるという。同時にスペンサーらの実利主義の影響や、音楽=遊芸という風潮、儒教的礼楽思想つまり徳育などの概念から、当時の大衆音楽やわらべ歌などは切り捨てられたという。このような歴史的背景の中で、日本最初の本格的な唱歌教科書「小学唱歌集」が作成された。発表では、この「小学唱歌集」編集時の論争、唱歌集自体小学唱歌集への反応などが示されて、日本の音楽教育の特殊性が形成された過程を示していく。

 杉田先生の発表は、教科書の内容などをデータとして、その歴史的な展開を追うことで、逆に現代の音楽教育というものの様子が浮き彫りとされたように思われる。過去の歴史を知ることは、現代の有り方を明確に規定することができるものであり、教科書一つとっても、多くのことを語るデータとなり得ることが理解された。さらに、教育というものが持つ影響の大きさというものも同時に考えさせられた。

斉藤久美子  現在の日本の音楽教育は西洋音楽一辺倒で,他のアジアの国に比べて自国の音楽やポピュラー音楽を扱わなさ過ぎるという現状がある.最近になってスピッツなどの自国のポップを取り入れるようになったがそれらの曲も西洋風である.学校に適不適な音楽というものがなんとなくあるようだ.ということで杉田先生の研究は,明治時代の音楽教育の歴史から現在の音楽教育のルーツを探っているのである.
 明治15年,伊澤修二によって『小学唱歌集』が作られた.将来国学を作るために西洋音楽をマスターすることが目的とされ,歌い継がれていた伝承わらべうたや庶民に親しまれていた三味線音楽などの俗曲は下品であるとして採用されず,耳慣れない西洋音楽や雅楽で構成された.内容の特徴としては,91曲中22曲が愛国的,24曲が教訓的なものであり,単純に使う音の数を徐々に増やしていったりと,易から難への教材配列が行われた.強引な和洋折衷,調整的背景を無視したスコットランド民謡と日本伝統音楽との同一視,先進国には長調が多いという理由からの長調偏重ということが行われた.
 明治時代はテレビもラジオもなく,学校で繰り返し歌う音楽教材の影響(ともに西洋生まれの唱歌とポップは根底で通じている?)は大きい!現在でも小中高と12年間明治時代の音楽を聞きつづける.若者がポップミュージックに走るのは学校唱歌への反動と影響が潜んでいるのではないかとのことだった.
 なんだか無茶苦茶やったな〜というものが百年近く経った今でも使われていることに私は単純に驚いた.戦後には一時見直されたのではないかというお話だったが,なぜこれほどまで,明治時代に,現代人が聞いたら違和感を覚えるような方法で生み出されたものが残っているのだろうか?やっぱり教科書を作ったり,審査したりするおじいさん達が自分が親しんだものを選んできたからなのかな〜と思ったりした.
 この研究におけるデータとは,どんな曲がどのように作られたかということに関する古い資料である.私は音楽の授業の教材の偏りについて,今までは日常生活で触れる機会の少ない種類の音楽を聴くための機会を与えてるのかな〜くらいにしか思っていなかったが,歴史を知ると,偏り方や,偏った理由がわかって問題意識が生まれた.

大門信也 

高橋明美 今回の授業で、私は「音楽教育導入史」に対する杉田先生の視点、に注意しながら話を聞いた。「唱歌」は教育をつくりあげる政治的な側面から、重視されているという。もっとおもしろい曲を扱う可能性はあるのに、「みんなが歌える」という面で「唱歌」を使う。いわゆる無難な路線で落ち着いている、という。
 例えば、民謡を音楽教育の中に5時間組み込む、などの、制度として決められたからやらざるおえない、というカリキュラムの問題。外国ではおもしろいもの、新しいものをとりいれているが、日本では小中学校の9年間、明治時代の決まり事とつきあっていること。現場の先生と話しをしても、創造性がもてないという。これは現在の指導要領の中で想像性が奪われてしまったのか?教師が実践する際に困っている、のが現状ということだった。
 私は「音楽教育」には、どのような分野を組み込めばよいのか、と思った。例えば、「能」「長唄」「小唄」などはどうか。このようなジャンルは音楽教育のどの辺りに位置づけられるのだろう。日本文化を継承する、という側面からみると必要かもしれない。そもそも音楽は、学問か、癒しなのか。我々は音楽を通じて何を求めていのだろう、と思った。


カナナデータ研  佐藤達哉(社会心理学研究室)  福島大学行政社会学部