2000年度

福島大学地域政策科学研究科

「地域社会と社会心理」

カナナデータ研・レポートの紹介(第1回)

大学院「地域社会と社会心理」(火曜夜7限)では、「データとは何か」なる曖昧なテーマをかかげて、いろんな方々に話題提供をいただく研究会方式の運営を行うことにしました。研究会の愛称は「カナナデータ研」にしました。以下は参加した院生諸氏のレポートです。

日時:2000/5/23

場所:行社棟7階合同演習室

講師:高谷理恵子先生(教育学部)「ヒトの初期運動発達について」

鈴木実

赤ちゃんの障害の有無は 5〜6ヶ月で初めて診断可能ということだが,現在はMRIにより新生児期で障害の有無は90%ほどわかるそうだ.だが赤ちゃんに影響が全くないとは言いきれず,障害の早期発見と赤ちゃんへの負担を軽減するという観点から,診断学的に無意味とされてきた「自発運動」に注目するという.今回のデータはこの赤ちゃんの自発運動(GM=四肢の運動)の軌跡を追ったものということになる.臨床現場に携わり,多くの赤ちゃんを見てきた人には経験的に障害の有無をGMから弁別できるというが,それを弁別するのは職人芸的である.最初に示された赤ちゃんのGMを映したビデオ(3人分,最初の赤ちゃんが健常)を見たのであるが,個別の違いを把握することは出来なかった.そもそも赤ちゃんをじっくり見る機会などなく,健常な赤ちゃんがどういうGMを見せるのかということすら判らないのである.この赤ちゃんのGMの軌跡を捉えたデータが示され,それぞれの四肢の動きの違いを示していただいたのだが,簡単に把握するということには至らなかった.それはどこからが障害(abnormal)のある動きなのかが把握できなかった為で,ぎこちなく,単調で,複雑過ぎるというそのGMの「幅」がわからなかった.だが職人芸とされてきたものを,動きを捉えたデータとして示され解説されたときには,ただGMを見るという行為よりもその違いの把握の度合いは高かった(と思う).トレーニングプログラムの作成に有効なデータなのだと思う.今回は集めたデータをどう表現すべきなのだろうかということを考えさせられた講義で有意義であった.


斎藤久美子

これまで乳幼児の研究において、原始反射以外の自発運動はデータのゴミとされ、無意味な存在であった。ところが臨床においては、自発運動の動きの印象で、脳障害の有無が「なんとなくわかる」と言われてきたのである。この印象判断は動きの複雑さ・スムーズさに起因すると言われている。適度に複雑で、スムーズな動きであればノーマルで、単調であったり、もしくは複雑過ぎたり、またぎこちない動きであればアブノーマルといった具合である。そこで、赤ちゃんの手足の運動をビデオテープに記録し、その軌跡の分析を行うのが高谷先生の研究である。高谷先生にとってのデータとは、赤ちゃんの自発運動の軌跡であり、それは赤ちゃんの動きと脳障害の間をつなぐものなのである。自発運動の動きの複雑さと障害の有無や種類とのかかわりを知るために、単なる日常風景からある情報(ごちゃごちゃした線)を取りだし、そこに何らかの法則を見出そうとしているのである。


大門信也

自発運動の観察による赤ちゃんの障害の有無の判断は、医療現場において看護婦や医者によって経験的に“判断”されていたが、自発運動のメカニズムを分析し、安全かつ早期に障害の有無を“診断”する技術へと結びつけることが、高谷先生の研究である。これまで、1台のビデオカメラで運動を撮り、動きの軌跡を平面上にプロットした図や、時間と画面上の動きの大きさをグラフにし、分析していたが、現在では4台のカメラによる3次元のデータ収集・分析へと移行している。これらの作業は、観ることを断片化し、それらを再構成することであり、そこで扱われるデータは、“観ることの断片”といえよう。しかし、断片化は、観ることそのものからは離れていく行為であり、データとり方によっては、経験的な判断を裏付けるどころか、余計にわからなくしてしまう可能性がある。そこで重要になるのは、断片化を的確に行うことである。これは、多くの実証的研究における課題とも言えよう。


カナナデータ研 佐藤達哉(社会心理学研究室)  福島大学行政社会学部