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わたしの「マイ・ブーム」
辻 みどり(行政社会学部)
わたしにとっての「マイ・ブーム」はインテリア・コーディネートです――というと、ちょっと格好良すぎるので言い直しますと、実はこのところ、お片づけに夢中に(必死に)なっていました。
昨年9月末に帰国しましたが、渡英する前に片づける暇もなく出発し、帰国後には英国で買い込んだ書籍や、図書館でとったコピー、必死になってパソコン筆写した資料などが増えていて、廊下の床にそのまま積み上げられていました。一つには単なる脱力感、その裏には英国で生活していた記憶を失いたくない気持ちがあり、半年間そのまま放置してしまいました。とりわけ、英国から持ち帰った資料は、7年後(次のサバティカル)までに片づければよいのだという、いじけた気分もあったものですから。
しかし、ゴールデンウィークの明るい日差しの中、不足分の資料収集のため、夏休みに渡英する計画を立ててからは、態勢たて直し軌道修正。もちろん、クッションカバーを替えたり、二度の夏を生き延びたシクラメンを大きな鉢に植え替えるなど「インテリア・コーディネート」らしいこともやりましたが、作業の大半は、1000枚余で未だ増殖中のCDを専用のラックに移したり、1年半の不在中使わなかったものは一生使うはずがないと見切りをつけ処分するといった「お片づけ」に終始しました。
貴重な資料は講義用に論文用にと現在進行形の用途本位に分類・整理し直す一方、活字ものを捨てられない習性からバックナンバーで保管していた雑誌類を精選し、過去を振り返るのをやめてサイズの合わない衣類を「ごみ」と認定し――「モノの所在」が私の過去の記憶を代弁する方式から、それらのモノとの関わりを含めた過去の経験の集大成として成る、現在の私の姿を軸とした生活/人生の体系化への転換!
もっともらしいことをもっともらしい口調で書きましたが、今回の「マイ・ブーム」、最大の難点は、これが他ならぬ「マイ・ブーム」である点です。「ブーム」という定義には、ブームの終わりが予め組み込まれています。でも、お片づけというのは本来、日常的に淡々と行なわれるべきことなんですよね。
「乱雑な」室内空間というものは、決して乱れているのではなく、日々の生活の痕跡が、時間経過に伴って塵のように堆積した結果を指すのだと思います。未発掘の地層のように、重大発見として大切に博物館に保管される化石と単なる土や不要物とが、未整理のまま並存する状態です。
しかし、ある時点で発掘者の判断により、重要性の認定を行なった末、不要の烙印を押して捨て去ってしまったものが、後の判断によって価値が逆転し、捨てたことが悔やまれる可能性もあるのではないでしょうか。その悲嘆を予測し、憂えて、生活の地層を見着手のまま保管する態度の表れとして、「乱雑な」室内空間があるのです。