「性格は変わらないという神話」

この原稿は

 『わかりたいあなたのための心理学・入門』,別冊宝島279,36-40,1996.

に寄稿したものです。図表が入っていませんので、実際の「宝島」を改めてよんでくださるようお願いします。

1 性格の悩みありませんか?

 自分の性格に満足していますか?と聞かれて「はい」と自信をもって答えられる人はそれほど多くないはず。

 筆者はかつて高校の友人で全く悩みの無い人がいて、その人は「悩みがないのが悩みだ〜」などと言っていました。そういう人はすごく珍しいでしょう。

 図1は、筆者の友人が専門学校の学生80名に尋ねた結果です(渡邊・佐藤、1996より)。問題が全くないと答えた人はわずか2人、その他の人たちは平均して2つくらいは自分の性格に問題を感じていたのです。

 図を挿入

 私たちはなぜ自分の性格に悩むのでしょうか?その1つの理由として、「性格は変わらない」からだということがあると思います。しかし、それは神話にすぎません。最近の性格心理学はそのことを明らかにしつつあります。

 人間の行動には非常に柔軟性があります。それにもかかわらず性格が安定しているように見えるのは、実は対人認知(性格を見るときのクセのようなもの)が重要な役割を果たしています。人が人を見るときのクセが「性格の安定性」を作り出しているのです。

2 他人の性格がうらやましい・憎らしい

 さて、自分の性格には悩みがあるのに、友人・知人の振る舞いを見ていると非常に腹立たしいことがあったりします。

2ー1 ブリッコS子

 ブリッコという言葉はもう死語になっているかもしれませんが、友人のS子。

女の子同士で話をしているときには、偉そうな態度で他人に命令口調で話すのに、いざオトコの前に出ると、全然違う。

 ちょっとうつむき加減で話を聞いて、「え〜、そんなことないわ」なんて歯の浮くような応対をしている。

 でも、これがオトコにもてる。S子の周りは常に華やかな雰囲気。

 「オトコってホント人を見る目が無いわよね」と他の友だちと話をしていても、そういう話をしている自分たちのほうがミジメになってくる。

 「あれくらい、自分の行動を変えてみたいわよね」なんて、結局、腹をたてているのか、羨ましがっているのか、自分でも分からなくなってくる。

2ー2 権威主義者のT夫

 会社の先輩で、すごく威張りたがるヤツがいる。とにかく後輩相手の時には容赦ない。ちょっとしたことでも自分ではやらずに命令してくる。

 「**くん、あれやっといてよ」

 バカヤロー!「あれ」で分かるか!と内心で怒りながらも笑顔で仕事をしてしまう自分が情けない。

 さらに頭がくるのはこのT夫、上司に向かってはペコペコしてばかり。森高千里の歌に「ハエ男」ってのがあったけど、まさにそんな感じ。

 でも、上司はT夫のことを買っている。礼儀正しく、後輩たちへの統率力もあるというように評価されているようだ。

 「まったく、課長も課長だよ。Tのおべっかに気づかずに、Tのことばっか評価して」と同僚と話をしていても、話している自分たちの方がミジメになってくる。

 「あれくらい白々しく上司に取り入ってみたいよ」なんて、結局、腹をたてているのか、羨ましがっているのか、自分でも分からなくなってくる。

 このような人たちが他人から評価されるのは何故でしょうか?あ〜あ、性格改造セミナーにでも行ってみようカナ、なんて考える人もきっといるでしょう。

  

3 やさしさはどこにある?

 素敵な彼ができたとします。友だちに自慢したいです。「あなたの彼氏どんな人」なんて聞かれたら答えます。

 「すっご〜く優しいの!!!」

 「どんな風に?」

 「初めて会ったときは雨の日で、傘をさしかけてくれたんだけどぉ、私が濡れないように、気をつかってくれた」とか「車に乗るときはまず助手席のドアを開けてくれるの」とか「レストランで食事するときも私に選ばせてくれるし」

 中にはおいおい違うんじゃないの?というものもあるでしょうけど、ほっとけばいくらでも「やさしい彼」についてのおのろけが出てきます。

 さて、では、「やさしさ」というのはどこにあるのでしょうか?彼の体の中に「やさしさ」というものがあって、それがわき出してくるのでしょうか?

 そんなことはないはず。

 「やさしさ」があるのではなく、私にやさしくしてくれた行動があるのです。

 1つ1つの行動を結びあわせていくと、「やさしさ」が感じられるし、「やさしさ」が感じられると、全ての行動がやさしく見えてくるのです。

4 性格は見る人の枠組みである 

 これまでのいくつかの話で何を言いたかったというと、性格というものがあって、それが行動の原因になっているというのはフィクションだ、という話です。

 そして、性格なるものがあるように思えるのは、性格を見る側の見方の問題が非常に大きいということになります。

 そして、さらに重要なことがあります。それは「性格」を考える場面・状況には実は3つの種類があってそれは少しづつ違っているということです。

4ー1 人称的性格という考え方

 まず、第一の場面は自分が自分の性格を考えること。「私って素直なカワイイ子」と思ったり、「自分の人見知りの性格では、これから社会生活がうまくいかない」と思ったりしているかもしれません。これは性格でもあり自己意識でもあります。これを一人称的性格把握と呼びます。

 次の場面は、自分と親しい人の性格を考えること。自分と深い付き合いがある人、両親や友人、恋人についての性格を考えることです。「父親は厳しいし口うるさい」「彼っていつでもやさしいの」などと、相手の性格を考えます。二人称的性格把握と呼びます。

 第三の場面は、特段親しくない多数の人の性格を考えることです。親しい人であれば直接の付き合いを通じていろんなことが分かりますが、付き合いがない場合はどうしても情報・データが不足しがちです。その場合、他の人たちと比較をしたり、あるいは外見から判断をすることになりがちです。たとえば学校の先生が、「あの子はクラスの中ではおとなしすぎる」と思ったり、初対面の人の服装から「こいつは派手なやつだ!」と思ったりするでしょう。このような性格理解のあり方を三人称的性格把握と呼ぶのです。

4ー2 人称的性格の実際

 以上の3つの性格把握のあり方を、ある会社のOL・A美を主人公にしてまとめながら考えると、

 自分自身のことを「ドジでのろまな亀(古くてスイマセン)」と思っているA美自身。

 A美の友だちで、「ドジなのは仕方ないけど、考え方が幼すぎるのでは?」と思っている友人B子。

 「部の中では、ダントツに頑張っていて仕事もきっちりこなしている」とA美のことを評価している課長C。ついでにB子のことを「ちょっと要領が良すぎるのが玉にキズ」などと思っているかもしれません。

 同じA美のことが対象であっても、それぞれの人の見方は全く同じということにはならないでしょう。それぞれが(本人を含めて)、A美との関係や心的距離が違うからです。

A美:(私はドジでのろまな…)

       C:(A美は頑張ってる!)

                          (B子、要領よすぎ!) 

B子(A美、ちょっと幼稚だぞ!)

 つまり、人の性格というのは、見方や関係によってこんなにも変わりうるものなのです。人のうわさ話が楽しいのは、噂の主人公に対する人々の見方がいっぱいあるからです。みんなの見方のズレから、隠された一面が分かるのが楽しいのです。

ひるがえって日常の生活場面のことを考えて、他人の性格を「***だ」と決めつけていないでしょうか。

 ある人(自分を含む)の性格理解は決して絶対的なものではないということを自覚することは大切です。そして、自分の理解を多少「割引き」して、他の見方はないかを探ることも大切なことだと思われます。

4ー3 ブリッコや権威主義者はなぜ評判がいいか

 さて、先の2番目の考え方(二人称的性格把握)において、ある人の行動は、他ならぬ自分がいるという条件によって規定されているかもしれないということは大切な視点です。

 つまり、自分と親しいその人は、自分がいない場所では全く違う行動をしているかもしれないのです。このことに気づいている人は少ないために、たとえばブリッコのS子や権威主義者のT夫は、それぞれオトコたちや上司から非常に高い評価を得ることになるのです。S子の場合、オトコがいる場合といない場合では全く行動が異なります。でも、それを知っているのは親しい同性の友人のみです。オトコたちがS子と一緒にいるときはいつでも「オトコがいる」という条件になってしまうので、S子の行動は変わらないし、オトコたちには他の場所でS子が威張っているなんてことは全く想像できないのです。S子の友人が「S子ってホントは女友だちの中では威張っているから嫌われているんだよ」なんてことを言ったとしても、それは単なる嫉妬としてしか受け取られないのです。

 多くの人の考え方の根本には「性格→行動」という考えがあり、それが状況を越えて変わることは無いんだという信念があります。賢明な読者ならすでにお気づきのとおり、それは間違いであり神話です。

 

5 性格理解から状況理解へ 

 自分や他人の性格を考えるということは、ある意味でデータの縮約という側面を持っています。「やさしい」と一言で言えばすむような行動様式は確かにあります。しかし、問題はこのような理解が本当の意味での人間理解なのか?ということでしょう。

 本稿で示せる一つの回答は、その人がおかれている状況をよく理解した上で、その人の行動を理解し、性格づけをしていく必要があるということです。

 私たちは多かれ少なかれ、環境に依存し環境に適応しながら生きていこうとします。ですから、ある人の性格を知るためにはその人の状況を知ることが大事になるのです。

 このような考え方は、性格検査で性格が把握できるというような考え方の対極にあります。性格検査を受ける人は少なくないと思うので、この点についても紹介しておきましょう。

 ここで言う性格検査は、就職試験などで突然やらされる性格検査のことです。「あなたは***の時〜〜ですか?」などという質問がいくつも並んでいるものです。

 このような検査で分かるのは性格ではありません。性格の捉え方がたくさんあることは既に書きましたが、性格検査は非常に限られた理解をしようとするものにすぎません。あえて言えば、一人称的性格把握に近いので、自己意識を捉えていることにはなるかと思います。要するに、「自分は自分のことをどんんな人間だと思っているか?」ということが明らかになるのです。おそらく、「自分で自分のことを悪いヤツだと思っている人」よりは「自分で自分のことを良いヤツだと思っている人」の方が望まれることになるはずです。

 最近は就職難のためか、「性格検査攻略法」などに需要があるようです。中にはそんなことをして自分を偽るのはイヤだと思う人もいるようですが、「攻略法」を学ぼうと学ぶまいとどちらも同じことです。

 性格検査の受け方について、ある人が言っていることが非常に興味深いので紹介しておきましょう。

 「就職試験で性格検査を受けさせられたら、お葬式に参列しているつもりで答えるといい」

 

6 多面性格しよう

 本来、人間の行動は非常に柔軟性にとみ、状況に適応する力が強いと考えられます。また、十人十色という言葉があるように、一人一人はかけがえのない存在であり、個性的な存在です。

 しかし、それをきちんと捉えようと思うと、それは大変カッタルイことなのです。だから、性格理論などを用いて単純に理解しようとするのです。日常における性格理論の代表的なものは「血液型性格判断」ですが、それは血液型が4つしかないということと関係していると思われます。物事の分類というのはせいぜい4種類くらいしかできないものなのです。「星占い」は12種類の星座を用いますが、それぞれの星座の特徴を全て覚えている人は少ないようです。私たちは、自分自身の毎日のことについては星座を重宝しますが、他人を理解するときには血液型性格判断を用いることが多いようです。それは、自分のことはより細かく知りたいけれど、他人を見るのは大ざっぱでいい、という私たちの認識のあり方を反映していると言えるのです。

 ここで重要なことは、自分の性格についても「大ざっぱな捉え方」をしがちであり、ついつい、「自分の性格は変わらない」と思いこんでしまうことです。惰性、とは言いませんが、自分の性格が変わらないと考える方が、変わると考えて色々とチャレンジするよりも実は楽な生き方なのかもしれません。

 本稿の最後として、性格で悩みを持っている人たちにアドバイスすると、「自分の性格は思ったより柔軟なはず」と考えてほしいと思います。そのような考えができるようになれば、自分の行動がいかに柔軟性に富んでいるかが分かるはずです。そして、実際に新しい行動をすることもおっくうではなくなるはずです。性格心理学の最前線・新潮流は性格で悩む人たちの見方です。

 紙幅の都合上、性格が柔軟であるという点についてはあまり触れられませんでしたが、渡邊芳之・佐藤達哉著『性格は変わる、変えられる』(自由国民社刊)に豊富な例とともに示されています。ぜひ参考にしてください。