書評ー「児童心理」11月号、142頁より

現場(フィールド)心理学の発想」(やまだようこ編)

評者ー松島恵介

この本は、たえず変化し動きつづけるものについて知る方法を教えてくれる。

これまでの多くの学問のようにその動きを止めたり、切り刻んだり、冷たい棒をさ し込んでみたりすることで何かわかったぞというのではなく、本書はそれと一緒に 動いてみることを薦める。動くものを知るにはこちらも動かねばならない、という 自然な論理だ。

このことの大切さは、たとえば川の水について考えてみるだけでもよい。 川で我々が泳ぐとき、水と「私」のあいだに何が起きているのか。川で泳いだこと のある人ならばわかると思うが、たとえばA〈私の腕の動きが川の流れを作り出す 〉・B〈川の流れは私の腕の動きを導いてくれる〉ということが起きる。重要なの はどちらがどちらに先んじているのでもない、という事実である。すなわちA→B でもなく、B→Aでもない、AとBが分かちがたく結びついていること、このこと は私が川に入って動いてみて初めてわかることである。 " 私" は、きっとこのことが 、「私〈が〉川〈を〉泳ぐ」でもないし、「川〈に〉泳が〈される〉」でもないこ とを知るだろう。

そしてこのプロセスがリアルな〈ことば〉で記述できれば、きっと説明としての " 泳 ぐ"という言葉はいらなくなるはずだ。

本書は、口先だけの方法論の変更やパラダイムの転換を目指すのではなく、じつは こうした言語の本質的転換を志しているのだろうと私は思う。今までの心理学で用 いられてきた " 学習する" とか " 動機づけられる"、または「記憶する」 といったような 言葉は、そのプロセスがきちんとわからなかったからこそ用いられた言葉でもあっ た。しかしそれらが実際に起こっている場所にじかに身体で触れあい動いてみるこ とで自ずから立ちあがってくる〈ことば〉を大切にすれば、これら " "(かぎかっこ)に閉じ込められた言葉は使わなくても困らないものになるだろうー 先の " 泳ぐ" という言葉のように。もちろんここに生まれてくる〈ことば〉は時に主観的といわれか ねないことばではある。しかし、とても重要なことは、実際の現場においてはきち んと主観的になることはー結果としてー客観的なことに通ずる、という劇的な逆転が起きているということである。ここから生まれてくる〈ことば〉は真の意味で個 的でありかつ普遍的なものになりうる可能性を秘める。

" 私"という言葉がほとんど登場してこなかった心理学の世界に、現場(フィールド)で動く " 私"が埋め込まれた新しい〈ことば〉がじわじわと生まれつつある。